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戦争に嵌っている人は精神病 

2006813

宇佐美 保


 本日の番組「サンデープロジェクト(テレビ朝日)」で、
94歳のご高齢でもお元気で活躍されておられる聖路加国際病院理事長の日野原重明氏は、「戦争反対」、更に、

犠牲が伴う愛

を訴えておられました。

 そして、とても貴重なご見解と存じましたので、
以下に、司会の田原氏との対談の内容を、出来るだけそのまま文字にさせて頂きました。

但し、一部()内にて、補足致しました。

 

広島長崎の原爆、そしてそれが61年経ってもね。

あの終戦の時アメリカだけが核兵器を持っていた。

原爆を、ところが61年の間に、平和平和と言って日本も平和の憲法と言うんだけどね、その60年後の今の世界の情勢を見るとね、もう核兵器(保有国)はね10カ国ぐらいにもなっている。

 

そして、あちこちでね、テロや戦争が起こってるではないですか!

だから61年前に比べると悪い状態なの、日本だけが平和憲法をつくって、結局、何処かからやられればアメリカに頼むと言う風にね、軍隊やめたでしょ。

で、ドイツとかイタリアは徴兵検査があってちゃんと自分の国は自分で護ると言う事を続けている。

日本はね、自衛隊は軍隊でないと言う事だから、なんかあればアメリカが、ちゃんとそれ(非常事態)をカバーする事になっているからね国民はのんびりします。

でも私はね、やはり今のドイツ、ドイツが本当に西と東に分かれてね、苦難を背負って克服した。

 

日本はその苦難がないの、だから非常にイージーで、ですから、日本の大学生は、医学部なんか比べるとアメリカ、カナダのね大学生、或いはドイツの子と勉強の仕方が全然違いますよ。

とにかくね、あの出席を取るなんて笑われますよ。

日本は出席をとらないと来ないんですから。
 ところがアメリカその他では、先生より遅れる事は良くないということだから、みんな集まっている。

だから、ダッと勉強が始まるというんでね、日本では能率(ノベとも聞こえ、一寸良く分りませんでした)が悪い、だから日本では医学部でもそれ以外でも、大学の学生の時、あんまり勉強しないから、そして、就職するでしょ、だからその前に健康な人はやはり難民キャンプに行くとか、ネパールやね。

 

私が一月前にねアフリカのシュバイツァーのランバレネという首都から赤道直下の250キロの悪い道を車で走って、そうしてランバレネという原生林のところにシュバイツァーのやっていた事を見たかった。(シュバイツァーは)1913年に行ったんですよ。

私が生まれた2年後ですよ。

38歳の時に彼(シュバイツァー)は、音楽、パイプオルガンのバッハの演奏者、哲学者、文学をやっている彼が、30歳で転向して医者になり、38歳で、あの地の果てに行ってやるという、伝記を読んで私は医者になりたい!・・・

 

田原氏“戦争は駄目だ!とお思いになったきっかけはナンですか?”

 

私はね、京都大学医学部4年の時に先輩の石井中将(軍医)、石井部隊、ハルピンでね

石井部隊

があって研究をやっている。

中国人の捕虜を材料にして、あらゆる伝染病の感染の人体実験をやった。

それから石井中将はね日本に逆らう国々の人々には、住民までもこうするんだといって、南京を攻略した時に妊婦が、お腹が大きい、日本の兵隊が銃剣でバーと突いて殺したんですよ。

そして、満州やなんかで色んな病気に対策すると言って部落を全部囲って逃げられないようにして火をつけて全部それを燃やしてしまって、大勢の人が死んだんですよ。

あの光景を見てね、戦争と言うのはね、あのクレージーにするんだと、本当に何も分別が分らない人間にするんだ。

だから、

どこの国でもナチスでもアメリカのヴェトナムの戦争でも、
全て、内乱とか全て戦争と言うのは、人間を病人にするんだ。

 

だから、9.11が起こった時に、憎いからやったと言うんだけれども、強い国は、それでも“今度からはやるなよ”と言う風にそこで止まれば、こういうことが無いんです。

 

みんな、あんな中に嵌っている人はね、やはり病人ですよ。

はっきりした精神病

一時的な精神病ですよ。

 

田原氏“特効薬何かありますかね?”

 

それはね、やはり、国民の中にね、冷静な国民がね、どうすべきかと言うね、強い世論が起こらないと駄目。

世論は今は乱れてますよ、
だから世論を作るのはね、
今の大人では遅すぎる

私は10歳の子供、小学校の4年生(に期待します)。

 

あのね、敵を愛せよと言う言葉がありますね、キリスト教にもね、敵を愛すると言うのはね、ただただ馴れ合いになるのではなく、理性を伴うの。

許しがないと、だから非常に困ってる人にマントを脱いで掛ける時にはね、自分は凍えてしまうの、でも、この人を助ける為に・・・だからあのマントの裏には血がにじんでいる。

それは何かと言うとね、許しと、許しがないと。

 

平和憲法で言いましたでしょ。それはねアメリカはいつも出て行く(注:日本の為に出動すると言う意味と思います)という協定(安保条約)の下に、そうだから、(それでは)本当の平和憲法ではない。

 

あの憲法を読みますとね、前文にあります、全ての世界が平和に向いている、その先頭に立って日本はやれ!と言うんでしょ。

ところがね、世界は平和に向いていないと言う事が起こっているでしょ。

61年の間に。

 

だから、原爆反対反対では、子供には駄目なんですよ。

反対では成功しない

 

私達は、もっと愛の精神で、この世界に愛のゴスペルを浸透させる事で、愛する事には犠牲が伴うと言う

だからですね、私達はあのアメリカとの協定が無くてね、平和にするんだったら、どうしてね、それじゃ

日本は潰れても良いから
何も無抵抗だと言うガンジーとキング博士のような思想に徹底すればよかった。

 

それで、もしも、どこかから、(こないだあたりから北朝鮮で問題があったけど、)世界は黙っていない、国連も今度ね、レバノンとイスラエルの問題があっても、何もない国に攻め込んだら黙ってないでしょ!

これを子供にメッセージを送りたい


 

(補足:1)

 

 日野原先生の“(大人はもう駄目で)10歳までの子供にメッセージを送りたい”とのお気持ちから、私の大好きな宮沢賢治の童話「雪渡り」が思い浮かんできました。

 

そこでは、四郎君とかんこちゃん兄妹は、狐の幻灯会に招待されます。

 

 でも、二人の兄さん達は、11歳以下(数え年)ではありませんでしたから、その幻灯会の招待に与る事が出来ませんでした。


(補足:2

 

 戦争の精神性の異常さは、「中野部隊」だけではありません。
(勿論、戦争自体、兵器による攻撃自体が非人間的ではありますが)

週刊金曜日(2006811618号))には、次の記事が載っています。

 

ガザ侵攻で特殊兵器使用!? 医師も戸惑う謎の死〃続発

 

イスラエルによるガザ地区への再侵攻が開始されて以来、ガザの医師は未知の「奇妙な死傷者」と次々と対面している。イスラエル軍が正体不明の特殊な兵器″を使用している

可能性が高い。       (大月啓介・ジャーナリスト/日本電波ニュース社所属)

 

 ガザ地区最大のシファ病院には、イスラエル軍の攻撃による多くの死傷者が、日々搬送されてくる。ある医師は、以前の砲撃によるものとは異なる、ここ一カ月の死傷者の特徴についてこう語る。

「犠牲者の体は、ひどく焼けただれ、切り刻まれています。

負傷者の多くも、手足を失い、骨に達するまでに深く体を焼かれているのです」

 筆者が目にした四歳の男の子は、奇妙にも顔はまったく無傷だったが、首から下の広範囲に重度の火傷を負っていた。焼かれたためか、別の特殊な作用によるものなのかは判然としないが、「真っ黒に」なっていた犠牲者もいた。

 さらに奇妙なことがある。

負傷者の多くは、身体の内外に深い損傷を負っていますが、それを引き起こした破片が見当たらないのです」 集中治療室(ICU)を担当するヒッシャーム医師は困惑する。「内臓の火傷や損傷が、体内に侵入した破片によるものならば、]線写真に破片が写るはず。

ところが、そこには何も写らないのです」

 これまで数多くの砲弾・銃弾による負傷者たちに接してきたガザの経験豊富な医師たちにとっても、まったく未知の経験だ。

 それだけではない。医療スタッフをもっとも消耗させるのが、次のような多くの奇妙なケースだ。

「犠牲者が、幸運にも攻撃時の負傷を生き延びたとします。

その後われわれは、もちろん適切な処置を施します。しかし彼らは、数日後に何の前兆もなく死亡するのです。容態が安定していても、突然死んでしまうのです」

 通常は、ICUでは一人の医師が患者を担当するが、今回の多くの場合、いつどんな問題が、どの器官に生じるか予想がつかず、複数の専門分野の医師が患者をフォローしなくてはならない。医療スタッフは、「一体、患者の体になにが起こつているのだ?」と驚かされている。

 シファ病院のサッカ医師は語る。「本当におかしな現象。イスラエル軍の兵器に、リンや、特殊な化学物質が使われているのかもしれません。それが一体何であるのか? 私たちには分かりません。この兵器を作ったイスラエルに聞いてください」。

 現在のパレスチナには、この未知の兵器の性質を特定する施設はない。パレスチナ自治政府は現在、国際社会に強く調査を要求している。

 

 何故、このような悲惨な非人間的な事実を大手マスコミが(大きく)報じないのでしょうか?!
そしてこのような情報を提供する雑誌「週刊金曜日」が、「紙の爆弾」のように、権力によって踏みにじられる事の無いように祈らずにはいられません。


 

(補足:3

「定年時代」平成188月上旬号に、日野原先生に関する記事が掲載されています。

その一部を次に抜粋させて頂きます。

http://www.teinenjidai.com/back/tokyo/newtokyo.html

 

日野原さんももちろん戦争体験者だ。「わたしの最後のミッション(使命)は、命と平和の大切さを伝えること」と断言する日野原さん。そして、現代では忙しい両親に代わって老人こそが子どもと命について語らなくてはいけない、と力説する。

・・・

日野原さんがここまで子どもの教育に力を入れるのは、95歳を目前にした今、「わたしの生涯の最後のミッションは、戦争を知らない今の子どもに平和を教えること」と認識しているからだ。「戦争というのは(みんなが)鬼になるの。60年前より核兵器を持っている国の数が増えた今の方が状況は悪い。この危ない時代に生きる子どもたちが、将来世界をどうやって平和に導いていけるか。非常に大事な問題です」

・・・

00年に75歳以上の老人を集めて日野原さんが発足させた「新老人の会」でも、戦時中や戦争直後の生活体験を記録し、次世代に語り継ぐ「語りの会」を奨励している。戦争中、すでに医師として働いていた日野原さん。当時の苦労、不安な日々を決して忘れてはいない。「あの物がなかった時代に、みんながどうやって助け合い、どうやって耐えたか。そういった経験を会員たちに小学校で語ってもらっているんです」

 

 このような日野原先生のご活動の方が、「愛国心教育」よりも、もっともっと比較にならないほど有意義と存じます。



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